ペストは日本で流行したのか?明治の死闘と最後の感染者から迫る真相

ペストは日本で流行したのか?明治の死闘と最後の感染者から迫る真相

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「中世の黒死病大流行時、日本には被害がなかった」という言説そのものは、歴史学的に事実です。14世紀にヨーロッパや中国大陸を壊滅的な恐怖に陥れた第2次パンデミックの時代、日本は鎌倉幕府の滅亡から南北朝の動乱期にありました。当時の交易範囲が限定的であったことや、ユーラシア内陸部からの物理的な隔離、さらには宿主となるネズミやノミが航海の途上で死滅するほどの距離があったことが、日本を奇跡的に守った防壁となったのです。

しかし、日本が完全にペストから逃げ切れたわけではありません。日本の門戸をこじ開けたのは、皮肉にも明治維新がもたらした「文明開化と蒸気船」でした。1850年代に中国・雲南省から端を発したとされるペストの「第3次世界パンデミック」は、高速化した蒸気船の航路に乗ってアジア各国の港湾都市へと瞬く間に飛び火。そして明治32年(1899年)秋、台湾・香港航路の貨客船を通じて、ついに神戸港・広島港へペスト菌の上陸を許す事態となったのです。

内務省衛生局の克明な記録によると、国内最初の確定患者は広島県の検疫所で見つかった船員でしたが、間もなく神戸市内の民間人へ飛び火。さらに翌年には東京・深川をはじめとする下町エリアへと飛び火し、都市部を恐怖の底に突き落としました。明治32年から大正15年までの約27年間にわたり、国内のペスト患者数は累計2,905名、そのうち死亡者は2,420名(致死率約83.3%)に達しています。「日本はペストと無縁だった」という言説は、歴史の記録を前にして完全に覆される誤解にすぎません。

清水 千尋
著者

清水 千尋

マーケティングと消費者心理のトレンドを分析し、現代のヒット商品の背景を読み解きます。