親しまれた歴史ある名前を捨て、なぜ大規模な改名に踏み切ったのか。その背景には、日本のレジャー産業が直面した構造的変化と、富士急グループによる綿密な事業再生戦略がありました。
開園当時の1970年代から1980年代にかけては、「緑の中で手作りバーベキューを楽しむ」というシンプルなピクニック需要だけで膨大な集客が見込めました。しかし、1990年代以降のテーマパークブームやライフスタイルの変化により、単に広場や簡易遊具を提供するだけのモデルは全国的に苦戦を強いられます。当時の運営母体であった三井不動産グループは事業の選択と集中を進める中で、遊園地・レジャー事業のノウハウを豊富に持つ富士急行への売却を決断しました。
運営を引き継いだ富士急グループは、従来の「相模湖ピクニックランド」という名称が持つ「素朴な広場」「昭和のピクニック場」という固定観念を打破する必要がありました。そこで打ち出されたのが、次の3つの再生軸です。
- 絶叫・アクティビティの導入:富士急ハイランドで培ったノウハウを投入し、スリルと体を動かす楽しさを融合させた独自アトラクションの配置。
- アウトドア宿泊の高級化(グランピング展開):直営アウトドアブランド「PICA」を導入し、手ぶらで快適に泊まれる「PICAさがみ湖」を整備。
- 冬季の閑散期対策:圧倒的な集客力を生み出す冬の風物詩「さがみ湖イルミリオン」の立ち上げ。
これにより、日帰りバーベキュー客が中心だった公園は、年間を通じて昼夜問わず集客できる「滞在型複合リゾート」へと劇的な転換を果たしました。