高見順『われは草なり』全文と現代語訳|なぜ草なのか?魂の詩を徹底解釈

高見順『われは草なり』全文と現代語訳|なぜ草なのか?魂の詩を徹底解釈

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まずは、高見順が遺した詩『われは草なり』の全文を正確に味わってみましょう。短い言葉の中に、凝縮された生命の躍動が脈打っています。

『われは草なり』 高見順


われは草なり
伸びんとす
伸びられるときは
伸びんとす
伸びられぬときは
伸びざらんとす

われは草なり
緑なり
すべての緑とともに
緑なり

みどりなるゆえに
伸びんとす
われは草なり
生きんとす

生くるときは
生かんとす
生かれぬときは
生かざらんとす
生かざるをえざるときは
生かざらんとす

われは草なり
生きんとす
草のいのちを
生きんとす

続いて、この詩が持つ本来の語感を損なわずに、現代の言葉で丁寧に噛み砕いた現代語訳を掲載します。

【現代語訳】

私は草である。
伸びようとする。
伸びることができるときは、力いっぱい伸びようとする。
どうしても伸びることができないときは、無理に伸びようとはしない。

私は草である。
緑色をしている。
この世界にあるすべての緑の命とともに、私も緑色に輝いている。

緑の命を宿しているからこそ、私は上へと伸びようとする。
私は草である。
力強く生きようとする。

生きられる状況にあるときは、精一杯生きようとする。
どうしても生きられない過酷な状況のときは、無理にあがくことなく静かに耐えよう。
どうしても生きることが許されないときには、その運命さえも受け入れよう。

それでも――私は草である。
命ある限り生きようとする。
ほかならぬ、この「草の命」を、最後の一滴まで生ききってみせる。

一読して伝わるのは、無駄を極限まで削ぎ落とした言葉の力です。背伸びをせず、他者と競うこともなく、ただ与えられた「草」というあり方を丸ごと引き受け、自らの生を全うしようとする清冽な意志が立ち現れます。

吉田 誠
著者

吉田 誠

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