原爆投下直後の広島・長崎の現場では、医学用語や物理定数だけでは言い尽くせない凄絶な光景が広がっていました。被爆医師や救護に当たった人々の手記・公的証言記録には、人間の尊厳を根底から破壊する熱線の暴虐が生々しく綴られています。
広島の日本赤十字社病院や各地の救護所で医療活動に従事した医師たちの記録(肥田舜太郎氏の手記など)には、次のような記述が共通して残されています。
「衣服はボロボロに焼け焦げ、顔も手足も膨れ上がって性別の判別すらつかない。両手を前に突き出し、剥がれ落ちた皮膚を爪先からボロ布のようにだらりと垂れ下げた人々が、声も出せずに無言で行列を作って歩いていた」
―― 原爆被爆者証言アーカイブおよび救護記録より
なぜ被爆者たちは両手を前に突き出して歩いていたのか。これは、熱線によって融解・破壊された皮膚が剥がれ、腕を下げると自分の体や服と接触して耐え難い激痛が走るためでした。体液を失い、皮膚のバリア機能を失った被爆者たちは、激しい口渇に苦しみながら「水を、水をください」とうめき、倒れていきました。
さらに現場を混乱させたのが、外傷が見当たらない被爆者をも襲った「急性放射線障害」です。爆心地近くで熱線から遮蔽物に隠れて助かったように見えた人々も、大量の初期放射線(ガンマ線・中性子線)を全身に浴びていました。数日から数週間のうちに高熱、激しい下痢、脱毛、全身の紫斑(皮下出血)を発症し、細胞分裂能力を奪われた骨髄組織の壊滅によって次々と命を落としていきました。