佐藤正午という作家に対して、インターネット上や読書フォーラムではしばしば「直木賞を受賞したから敷居が高そう」「純文学寄りで読みにくいのではないか」という誤解が見受けられます。しかし、これは実態とは正反対です。
実際の作品群は、ハードボイルド小説やアメリカン・ニューシネマの血脈を受け継ぐ極めてスリリングなエンターテインメントです。難解な観念用語や衒学的な修辞は徹底して排除されており、使われている語彙は平易で日常的なものばかりです。それにもかかわらず文学的な深みを感じさせるのは、言葉の選び方と文末のリズムが極限まで推敲されているからです。
もう一つの誤解は、「佐世保に閉じこもっている偏屈な作家」というイメージです。自著のエッセイやインタビューにおける発言を精査すると、東京を離れているのは世俗を拒絶しているからではなく、「生活者としての冷静な観察眼を維持するため」であることが分かります。満員電車や目まぐるしい情報消費から距離を置くことで、人間の根源的な心理や嘘のメカニズムを定点観測し続けているのです。