鋸山の石切場の歴史は、江戸時代末期に本格化しました。鋸山から産出された「房州石」は、耐火性と保温性に優れた良質な凝灰岩であり、江戸・東京の急速な都市開発を支える資材として重用されました。代表的な建築物としては、靖国神社や早稲田大学の大隈講堂、横浜港の護岸設備、横須賀軍港の基礎などに広く採用された記録が残っています。
採石は昭和60年(1985年)に完全に幕を閉じるまで、手掘りから機械掘りへと技術を進化させながら約200年近くにわたり続けられました。なかでも特筆すべきは、切り出された重さ約80kgの石材を「ねこだ」と呼ばれる木製の手押し車に載せ、1日に3往復以上も山から運び降ろした「車力(しゃりき)」と呼ばれる女性たちの過酷な労働史です。
私たちが現在目にする「ラピュタの壁」の圧倒的な垂直面は、単なる自然の造形美ではなく、日本の近代化を陰で支えた名もなき職人たちの血と汗の結晶といえます。産業考古学的な価値の高さが再認識された結果、鋸山の石切場群は日本遺産(候補)や近代化産業遺産としての評価を確固たるものにしています。