家康の墓所を語る上で欠かせないのが、久能山東照宮(静岡市駿河区)と日光東照宮(栃木県日光市)の二大拠点です。一般的に「家康の墓」と認知されている場所は、久能山では社殿奥に鎮座する「神廟(しんびょう)」であり、日光では石段を登りつめた最奥部に位置する「奥宮 宝塔(おくみや ほうとう)」を指します。
家康が元和2年(1616年)4月17日に駿府城で75年の生涯を閉じた直後、幕府の側近であった僧侶・以心崇伝(金地院崇伝)の日記『本光国師日記』には、家康自身が遺言した葬儀手順が明確に記録されています。
「遺体は駿州久能山に納め、葬礼は江戸の増上寺にて行い、位牌は三河の大樹寺に立て、一周忌が過ぎてから下野の日光山に小堂を建てて勧請せよ。関八州の鎮守とならん」
この記述通り、遺体は死去当夜に久能山へ運ばれ、神葬祭が行われました。論争の火種となっているのは、その1年後の元和3年(1617年)に行われた「日光への遷座(せんざ)」において、移動したのが「家康の御霊(神体・魂)」だけだったのか、それとも「実際の遺骨」まで掘り起こして改葬したのかという点です。