1982年3月20日、フォーライフ・レコードからリリースされたシングル盤『唇をかみしめて』は、日本のレコード流通史においても極めて異例のプロダクトでした。なんと、レコードの裏面にあたるB面には曲が一切収録されていない「片面シングル(ワンサイド・シングル)」として店頭に並んだのです。
当時、通常のアナログEPレコードは700円が標準価格でしたが、本作は1曲のみの収録ということで特別定価600円に設定されました。溝が刻まれていないツルツルのB面には、拓郎の手書きメッセージやデザインが施されており、音楽ファンに強烈なインパクトを与えました。「主題歌はこの1曲だけで完結している。余計なカップリング曲は必要ない」という、フォーライフ首脳陣と拓郎自身の強烈な作家性が生んだ伝説のパッケージングです。
さらにファンを驚かせたのは、当時の拓郎が精力的に発表していたオリジナル・スタジオアルバム(『マラソン』など)に、本作を一切収録しなかった点です。そのため、長年にわたり1983年のベスト盤『ONLY YOU 〜since coming For Life〜』や1985年の『吉田拓郎ベスト60』、映画サントラ盤でしか聴くことができない特別な楽曲として語り継がれました。現在では各種ストリーミングサービスや『拓郎ヒストリー』などの決定版ベストアルバムで手軽に聴くことができますが、この「入手困難だった時代」の記憶が、楽曲の神格化を後押ししたことは間違いありません。