映画『丑三つの村』の屋台骨となっているのは、昭和13年(1938年)5月21日未明、岡山県苫田郡西加茂村(現・津山市)の貝尾集落で発生した「津山事件(津山三十人殺し)」です。当時わずか21歳だった青年・都井睦雄が、わずか1時間半余りの間に集落の住民を次々と襲撃し、30名を虐殺、3名に重軽傷を負わせたのちに自決したこの事件は、警察庁や法務省の犯罪記録においても類を見ない大量無差別殺人事件として記録されています。
事件の背景には、当時の農村部が抱えていた過酷な病理が存在していました。睦雄は幼少期に両親を肺結核で亡くし、祖母の手ひとつで溺愛されて育ちました。頭脳明晰で尋常高等小学校を優秀な成績で卒業したものの、彼自身もまた当時「不治の病」「遺伝する死病」として忌み嫌われていた結核を発症します。日中戦争へと突入していく軍国主義の世相において、徴兵検査での「丙種合格(事実上の兵役不適格・不合格)」の烙印は、単なる健康問題にとどまらず、男としての社会的な死を意味していました。
それまで集落で行われていた伝統的な「夜這い(よばい)」を通じて睦雄と関係を持っていた村の女性たちは、結核の診断が下るや否や一斉に彼を拒絶。さらに、親族や近隣住民からも露骨な差別や侮蔑、いわゆる「村八分」に近い扱いを受けるようになります。自尊心を徹底的にへし折られ、閉ざされた共同体のなかで逃げ場を失った睦雄の鬱屈は、やがて冷徹な復讐計画へと変貌していきました。改造したブローニング製9連発自動散弾銃、日本刀、短刀を携え、頭には自転車用のナショナル製懐中電灯を2本角のようにくくりつけた異様な出で立ちは、映画でも戦慄のビジュアルとして忠実に再現されています。