悲劇の発端は、1965年にルーマニア共産党のトップに就任したニコラエ・チャウシェスクが掲げた、誇大妄想的な国家拡張計画にあります。国力を増大させるには急激な人口増加が不可欠であると信じ込んだ政権は、1966年に悪名高い「法令770号(Decree 770)」を公布しました。この法令により、45歳未満(後に要件変更あり)で4人(後に5人)以上の子どもを持たない女性の中絶および避妊具の製造・輸入・使用が全面的に違法化されました。
政策の実効性を担保するために組織されたのが、俗に「月経警察」と呼ばれた国家機関の監視員たちです。治安組織「セクリターテ」の関与のもと、工場や職場に産婦人科医と監視チームが定期的に派遣され、女性労働者に対して強制的な妊娠検査が実施されました。妊娠が判明した女性は出産まで国家の監視下に置かれ、流産した場合は故意の堕胎ではないかと厳格な取り調べを受けるなど、人権を完全に無視した身体管理が横行しました。
さらに、一定の年齢を超えて子供がいない独身者や夫婦には重い「子供なし税(独身税)」が課され、国民は経済的にも追い詰められていきました。しかし、1980年代に入ると対外債務返済のための極端な緊縮財政によって国内の食糧やエネルギー供給は完全に破綻。生活を維持できなくなった無数の家庭が、「国家が子供を育ててくれる」というプロパガンダを信じ、産まれたばかりの我が子を乳児院や孤児院へ預けざるを得ない事態に陥りました。