中国史上最も残酷な凌遅刑の全貌|肉を削ぐ執行手順と廃止の歴史的背景

中国史上最も残酷な凌遅刑の全貌|肉を削ぐ執行手順と廃止の歴史的背景

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Q1:日本にも凌遅刑のような処刑方法は存在したのですか?
A1:日本において肉を生きたまま少しずつ削ぐ「凌遅刑」そのものが法制化されたことはありません。ただし、戦国時代から江戸時代にかけて行われた「鋸挽き(のこぎりびき)」や「牛裂き」、磔(はりつけ)にした罪人を槍で左右から突く処刑法など、苦痛を長引かせる見せしめ的要素を持つ重刑は存在しました。江戸時代の鋸挽きも、元禄期以降は形式化し、実際に通行人が鋸を引くことは稀になりました。

Q2:明末の英雄・袁崇煥はなぜ凌遅刑に処されたのですか?
A2:後金の侵攻を幾度も防いだ名将・袁崇煥でしたが、敵の謀略(離間計)と朝廷内の宦官勢力による讒言によって、「後金と密通して明を裏切った」という濡れ衣を着せられました。猜疑心の強い崇禎帝は激怒し、国家反逆の最高罪として凌遅刑を言い渡しました。袁崇煥の名誉が公式に回復されたのは、明が滅亡した後の清朝・乾隆帝の時代になってからのことです。

Q3:凌遅刑の執行写真は本当に実在するのですか?
A3:実在します。1904年から1905年の廃止直前にかけて、北京の菜市口などで執行された王維勤(大虐殺の罪)や康小八(匪賊)、符珠哩(召使いによる主人殺害)の処刑現場を、フランス軍将校や西洋の写真家が撮影した写真が複数現存しています。これらの写真は当時の絵葉書や人類学・医学資料として海外に広まり、現在も公的アーカイブや学術論文に保存されています。

Q4:凌遅刑が廃止された後、清朝の死刑制度はどう変わったのですか?
A4:1905年の沈家本による刑制改革以降、死刑は「斬首」と「絞首(首吊り)」の2種類に絞られ、遺体を損壊する一切の身体刑が撤廃されました。その後、中華民国期を経て銃殺刑や薬物注射刑へと近代化が進むことになります。

小林 直樹
著者

小林 直樹

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