人類を震撼させた天然痘の原因とは?完全根絶の真相と今知るべき教訓

人類を震撼させた天然痘の原因とは?完全根絶の真相と今知るべき教訓

人類を震撼させた天然痘の原因とは?完全根絶の真相と今知るべき教訓について押さえておきたい 注意点を分かりやすい構成で解説いたします。

日本列島における天然痘の猛威は、古代の国家運営そのものを根底から揺るがしました。記録上最も凄惨な被害をもたらしたのが、奈良時代の735年から737年にかけて発生した「天平の大疫病」です。『続日本紀』などの史料によると、朝鮮半島からの使節を通じて九州・大宰府に上陸した病魔は瞬く間に平城京へと広がり、当時の政治を牛耳っていた藤原不比等の四男(藤原武智麻呂、房前、宇合、麻呂の「藤原四兄弟」)が全員相次いで病死。政権中枢が事実上壊滅する前代未聞の事態に陥りました。

当時の人口の約25〜35%にあたる100万〜150万人以上が死亡したと推計されており、飢饉と社会不安が列島を覆い尽くしました。この未曾有の国難に直面した聖武天皇が、人々の救済と国家安泰を祈願して建立を決断したのが、現在も奈良に鎮座する東大寺の盧舎那仏像(奈良の大仏)です。日本の宗教文化や巨大建築の遺産は、天然痘という目に見えない病原体に対する為政者の必死の抵抗の産物でもありました。

中世から近世にかけても、天然痘は数年から十数年の周期で定期的に大流行を繰り返し、子どもが成人できるか否かを分ける最大の障壁となりました。「疱瘡(ほうそう)」と呼ばれたこの病は、時に異形の「疱瘡神(ほうそうしん)」の祟りと恐れられ、赤い布を身につけさせて神を宥める迷信的な風習が全国に定着しました。感染した者は隔離され、治癒後も残るあばたによって婚姻や就職において過酷なスティグマ(社会的差別)に晒されるなど、病の苦痛は社会構造的な悲劇を生み出し続けたのです。

この闇を科学の力で切り拓いたのが、幕末の蘭学者・医師である緒方洪庵でした。1849年、佐賀藩経由でオランダ船からもたらされた牛痘苗を入手した洪庵は、大坂に「除痘館」を開設。根拠のないデマや漢方医からの激しい中傷・抵抗に晒されながらも、驚異的な安全性をデータと実証によって示し続けました。洪庵の弟子たち(適塾の塾生)が全国に種痘ネットワークを拡大したことで、日本における天然痘の歴史は祈祷の時代から近代公衆衛生の時代へと劇的な転換を遂げたのです。

前田 葵
著者

前田 葵

マーケティングと消費者心理のトレンドを分析し、現代のヒット商品の背景を読み解きます。