白峯神宮を語る上で欠かせないもう一つの、そして本来の主軸となる歴史が、本殿に祀られている崇徳天皇(第75代)と淳仁天皇(第47代)の存在です。
崇徳天皇は、平安末期の保元の乱(1156年)に敗れ、讃岐国(現在の香川県)へ配流された悲運の帝です。配流先で血書による五部大乗経を完成させ、都の寺院に納めてほしいと願い出たものの後白河上皇側に拒絶され、深い無念のなか舌を噛み切って「日本国の大魔縁となり、皇を取って民とし民を皇となさん」と誓ったと『保元物語』等に記されています。その壮絶な最期から、平将門、菅原道真と並ぶ「日本三大怨霊」の一人として恐れられてきました。
一方の淳仁天皇もまた、藤原仲麻呂の乱(恵美押勝の乱)に連座して淡路国へ配流され、非業の死を遂げた歴史を持ちます。幕末の動乱期、孝明天皇は国家の安泰を祈るため崇徳天皇の御霊を京都へ帰還させることを悲願とされ、その遺志を継いだ明治天皇が明治元年(1868年)、讃岐の白峯陵から御神霊を迎え創建したのが白峯神宮です。
なぜ怨霊と恐れられた天皇を祀る神社が、現代でこれほど前向きな必勝祈願の場となっているのでしょうか。神道における怨霊信仰の本質は「御霊信仰(ごりょうしんこう)」にあります。激しい怒りや執念を持つ強力な御霊ほど、誠心誠意お祀りして鎮魂することで、最も頼もしく強大な守護神へ転じるという考え方です。
また、崇徳天皇がすべてを断ち切って配流の地で耐え抜いたという境遇から、白峯神宮は「悪縁をスパッと断ち切り、良縁や勝利を力強く手繰り寄せるパワースポット」としての神徳も併せ持っています。病気や怪我、対人トラブル、自身の弱気といったあらゆる悪縁を断ち切る場所として、アスリートのみならず人生の勝負所に立つ人々から熱烈な信仰を集めているのです。