鈴虫の優雅な音色を聴くとき、多くの人が「喉や口から声を出している」と錯覚しがちですが、昆虫である鈴虫には声帯がありません。音を出しているのは完全に左右の前翅(羽)の機械的摩擦です。
鈴虫の成虫の羽を観察すると、オスの前翅には「ヤスリ状のギザギザした翅脈(摩擦脈)」と、反対側の羽の縁にある「摩擦片(爪のような突起)」が備わっています。オスは羽を背中の上でほぼ垂直(約80度)に立て、左右の羽を1秒間に数十回という猛スピードで開閉・摩擦させます。この振動が羽全体にある薄い膜(鏡膜)に伝わって共鳴板の役割を果たし、アンプのように増幅されてあの透き通った大音量が放たれます。
そして、鳴くことができるのは成熟したオスのみです。メスの前翅にはこのヤスリ構造がなく、羽の葉脈も直線的で滑らかなため、羽を擦り合わせても音が出ません。オスとメスを見分ける際は、鳴き声の有無に加えて、メスの尾端にある針のように長い「産卵管」の存在を確認するのが最も確実です。
オスが莫大なエネルギーを消費して羽を擦り合わせる理由は、主に以下の3つのシチュエーションに集約されます。
- ひとり鳴き(誘い鳴き・求愛):「リーン、リーン」と澄んだテンポで長く鳴き続ける最も一般的な鳴き声。メスを遠くから引き寄せるためのラブコール。
- 求愛鳴き(アタック音):メスが近くに来た際、「チッチッチッ」と小刻みで低いテンポに変化させ、交尾を受け入れるよう促す興奮のサイン。
- 争い鳴き(縄張り主張・威嚇):他のオスが縄張りに侵入してきた際、「リィーッ!リィーッ!」と鋭く激しい金属音を叩きつけ、相手を威嚇して追い払うためのファイティングコール。
自然界における鈴虫の発生時期は8月下旬から10月下旬。薄暗い環境を好む夜行性のため、夕暮れ時から深夜にかけて鳴き声のピークを迎えますが、温度と照度が一定であれば昼間でも木陰や草むらの奥で鳴き声を響かせます。