加藤紘一(かとう こういち)氏は1939年、衆議院議員を務めた加藤精三氏の三男として誕生しました。東京大学法学部を卒業後、外務省に入省。台湾での語学研修やハーバード大学大学院への留学を経て、中国語に精通する「チャイナスクール」のエリート外交官としてキャリアをスタートさせます。
転機が訪れたのは1972年、父・精三氏の急逝でした。父の遺志を継ぐ形で第33回衆議院議員総選挙に旧山形2区から出馬し、33歳で初当選。政界入り後は、池田勇人元首相を源流とし、前尾繁三郎氏や大平正芳氏が受け継いだ名門派閥宏池会(こうちかい)に身を置きます。経済重視・軽武装・ハト派的リアリズムを信条とする宏池会において、加藤氏は早くから頭角を現しました。
宮澤喜一氏からの絶大な信任を得た加藤氏は、1984年に防衛庁長官として初入閣を果たし、宮澤内閣では内閣官房長官に就任。さらに1995年からの橋本龍太郎総裁時代には、党の中枢である自民党幹事長を約3年間にわたって務め上げます。当時、社会党・さきがけとの「自社さ連立政権」を維持・主導した加藤氏の手腕は高く評価され、小泉純一郎氏、山崎拓氏とともに「YKK」と呼ばれる盟友関係を結成。「ポスト森」を担う次期首相候補の筆頭として、その権勢は頂点を迎えていました。