この病院の歴史を語るうえで、株式会社日立製作所との関係性は切り離せない。もともと同社の職域病院としてスタートした経緯があり、モノづくりの街として発展してきた茨城県ひたちなか市の歩みとともに、病院の規模も拡大を続けてきた。企業の福利厚生という枠組みを超え、地域全体へ医療を開放してきたプロセスは、日本の産業医療の歴史における一つの典型例と言える。
病院長をはじめとする経営陣は、企業病院としての精緻な組織運営ノウハウを医療現場へ還元してきた。時代の変化に伴い、運営体のあり方についての議論も行われているが、地域に根ざした高精度な医療サービスを提供するという根本的な理念は変わっていない。産業の街から持続可能な社会へとシフトする中で、その役割はより多層的なものへと変化している。