この事件が社会的な大炎上へと突き進んだ最大の引き金は、薬物使用そのもの以上に日本大学首脳陣の危機管理能力の欠如と内紛劇でした。
林真理子理事長は、作家としての発信力と清潔感を期待され、かつての田中英寿体制による汚職体質を刷新する「改革の象徴」として2026年に就任しました。しかし、2026年8月2日に事件がメディアで報じられた直後、林理事長は報道陣に対し「違法な薬物が見つかったという事実はない」と明言。ところがそのわずか数日後に警察が寮を捜索し、部員が逮捕されたことで、理事長自身の信頼は根底から失墜しました。
その後の記者会見で露呈したのは、ガバナンスの致命的なねじれでした。元東京地検検事である澤田康広副学長と酒井健夫学長、そして林理事長の間で情報共有が著しく遮断されていたのです。第三者委員会の調査報告書でも厳しく指摘された通り、澤田副学長は「教育的配慮として自首を促すため」と弁明したものの、司法関係者からは「証拠隠滅を疑われかねない軽率極まりない行為」と断じられました。
結果として、大学上層部は責任のなすり合いを展開。澤田副学長は辞任に追い込まれ、酒井学長も引責辞任を表明。林真理子理事長も役員報酬の減額処分を受け、一時は辞任論が噴出するなど、大学組織そのものが機能不全に陥りました。不祥事が起きた際、組織防衛に走って隠蔽を図り、結果として傷口を致命的に広げるという、昭和・平成の悪しき組織風土が完全に露呈した瞬間でした。