佐藤愛子の文学を真に理解する上で避けて通れないのが、その凄まじい経歴と家族関係です。彼女が背負った運命の重厚さは、日本の近代文壇史そのものといっても過言ではありません。
父は明治・大正・昭和を代表する流行作家であり劇作家の佐藤紅緑。異母兄には「ちいさい秋みつけた」「うれしいひなまつり」などで国民的作詞家・詩人として名を馳せたサトウハチローがいます。この佐藤紅緑・サトウハチローの家系図は、類まれなる芸術的才能の一方で、激しい気性、放蕩、家庭崩壊の火種を常に抱え込んだ「呪われた血筋」でもありました。
佐藤愛子自身の私生活もまた、筆舌に尽くしがたい試練の連続でした。最初の夫である軍医(森田茂生氏)のモルヒネ中毒と破局、続いて再婚した作家・田畑麦彦(本名:田中真澄)の事業失敗によって、昭和の物価水準で約2億円(現在の貨幣価値で十数億円規模)という天文学的な連帯保証債務を背負わされることになります。
債権者に自宅を包囲され、連日罵声を浴びせられる極限状態の中で、彼女は万年筆一本を武器に原稿用紙へ向かい続けました。その修羅場から生まれた私小説が、1969年に第61回直木賞を受賞した『戦いすんで日が暮れて』です。破滅していく夫への冷徹な観察眼と、借金取りとの熾烈な丁々発止をユーモアすら交えて描いた本作は、選考委員から「凄まじい生活力と文学の結晶」と絶賛されました。
この過酷な闘争の日々を精神的支柱として支え続けたのが、最初の夫との間に生まれた娘・杉山桃子氏の存在です。桃子氏自身も後にエッセイストとして活躍し、佐藤愛子の破天荒な育児や家庭内劇を温かなユーモアを交えて綴るなど、母娘でありながら戦友のような深い絆を築き上げました。