京都と並んで日本を代表する碁盤の目状の街が、北海道の道都・札幌です。同じ格子状の街並みでありながら、札幌が誕生した背景は京都の条坊制とは大きく異なります。
明治2年(1869年)、明治政府によって設置された開拓使の判官・島義勇(しまよしたけ)が円山から札幌平野を見渡し、近代都市の構想を練り上げたのが始まりです。島は京都を意識しつつも、当時の開拓使最高顧問であった元アメリカ農務長官ホーレス・ケプロンらの助言を受け、アメリカの最新都市計画手法を積極的に導入しました。
札幌の構造は、東西に広がる幅105メートルの巨大な防火帯である「大通公園」を南北の境界線とし、市内を流れる「創成川」を東西の境界線として設定されています。ここを基点に「北1条西3丁目」「南3条東2丁目」といった分かりやすい直交座標系(アドレスシステム)を構築。開拓期の原野にゼロから建設されたため、京都よりも道幅が広く、車社会にも適応しやすい壮大なスケールのグリッド都市が完成しました。