シベリア出兵とは?理由と米騒動の真相・失敗の結末を徹底解説

シベリア出兵とは?理由と米騒動の真相・失敗の結末を徹底解説

シベリア出兵とは?理由と米騒動の真相・失敗の結末を徹底解説について専門的な視点から解説いたします。専門家の見解をお届けします。

戦場に送られた前線の日本軍兵士が直面したのは、正規軍同士の正面衝突ではなく、赤軍(ボリシェヴィキ)と白軍(反革命派)の内戦という泥沼の殺戮劇でした。

従軍兵士の日記や手記には、零下40度を下回る酷寒のシベリアがいかに地獄であったかが生々しく記録されています。「耳や鼻が凍傷で削げ落ちる」「防寒靴が支給されず足指を切断した」「銃身に触れた皮膚が張り付いて剥がれ落ちた」といった証言が散見されます。さらに兵士たちを精神的に追い詰めたのが、軍服を着ていない農民や住民が夜間になると武器を取って襲撃してくるパルチザン(遊撃隊)ゲリラ戦でした。

誰が敵で誰が味方か判別できない恐怖から、日本軍は疑わしい村落を焼き払い、住民を処刑する焦土作戦に手を染めていきます。これにより現地住民の反日感情は決定的なものとなり、さらなるゲリラ攻撃を呼ぶ悪循環を生みました。

この泥沼の極限状態で起きた最悪の惨劇が、1920年の尼港事件(ニコラエフスク事件)です。アムール川河口のアムールスキー・ニコラエフスク(尼港)に駐留していた日本陸軍守備隊(約300名)と日本人居留民(約400名)が、ヤコフ・トリピーツィン率いる過激派パルチザン赤軍に包囲されました。激しい市街戦の末に守備隊は全滅し、居留民の女性や子どもを含む日本人約700名以上、さらに数千人のロシア人住民が虐殺され、町全体が焼き払われたのです。

この事件は日本国内に凄まじい衝撃と反露感情を巻き起こしました。軍部は世論の憤激を利用し、撤兵を求める内外の声を封殺。事件の損害賠償と正当なロシア政府の樹立を名目として、ロシア領であるサハリン北部を武力占領する北樺太保障占領を強行しました。しかし、この強硬策もまた日本の国際的孤立を深め、撤退のハードルを自ら引き上げる結果にしかならなかったのです。

中村 さくら
著者

中村 さくら

エンタメ・カルチャー業界の深掘り取材を得意とし、現場のリアルな声をお伝えします。