PL学園の衰退を語る上で避けて通れないのが、2016年7月の硬式野球部休部です。甲子園で通算96勝、春夏制覇の栄光を誇った怪物が、なぜ自らその歴史に幕を下ろすことになったのでしょうか。
直接的な引き金となったのは、2001年、2011年、そして2013年に立て続けに発覚した部内での暴力・いじめ事案でした。2013年の不祥事では日本学生野球協会から6カ月間の対外試合禁止処分を受け、当時の監督が退任。しかし、後任の指導者選定をめぐって教団幹部と野球部OB会の間で深刻な対立が勃発しました。
OB会側は高校野球の指導実績を持つ有力OBの招聘を強く求めましたが、教団側は「学園の信仰心や教義を最優先すべき」として外部からの指導者就任を拒絶。結果として、野球未経験の教団専従職員(校長)がユニフォームを着てベンチに入り、サインも出せない異例の体制で試合に臨むという異常事態が続きました。
当時の報道各社の取材や、桑田真澄氏をはじめとするプロ野球界の重鎮OBたちが特番インタビューや自著で語った生の告白からは、伝統ある名門が組織の硬直化によって自壊していく悲哀が浮き彫りになっています。
「自分たちが愛したあの場所は、いつの間にか現場の球児のためではなく、教団組織の論理に支配されてしまっていた」
2015年春、教団は野球部の新入部員募集を正式に停止。そして2016年7月15日、第98回全国高校野球選手権大阪大会の2回戦(東大阪大柏原戦)に敗れた瞬間、PL学園野球部の長い歴史は事実上の終焉を迎えました。部員わずか12名、最後の打者が三振に倒れ、全員で校歌を斉唱してグラウンドを去った光景は、日本スポーツ史における痛烈な象徴的シーンとして記憶されています。