現場検証が終了した後、三島と森田の遺体は司法解剖のために慶應義塾大学病院法医学教室へと搬送されました。解剖を担当した医師団の手によって、切り離された首と胴体は極めて丁寧に、傷口が目立たないよう精密に縫合されました。
死化粧を施された三島の遺体には、生前懇意にしていた仕立屋の手による特注の「楯の会」制服が着せられ、胸元には愛刀・関の孫六の白木鞘が抱かされました。無言の帰宅を果たした大田区南馬込の自宅では、妻の瑤子氏をはじめとする近親者のみで見送る密葬が執り行われています。
遺骨はその後、東京都府中市にある多磨霊園の平岡家墓所に手厚く埋葬されました。現在も命日である11月25日の「憂国忌」には、多くの文学ファンや思想的後継者たちが墓前に集い、類まれな才能の最期に思いを馳せています。