なぜ江戸城は消えたのか?天守閣が再建されなかった歴史の真相と皇居の今

なぜ江戸城は消えたのか?天守閣が再建されなかった歴史の真相と皇居の今

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天守閣を失った後も、江戸城そのものが消滅したわけではありません。将軍の居住空間であり政務の中枢であった「本丸御殿(表・中奥・大奥)」や「二の丸御殿」、そして天守の代用とされた「富士見櫓」が機能し続け、幕府政治の心臓部であり続けました。

しかし、江戸城を苦しめ続けたのが江戸城本丸御殿の火災歴史です。江戸時代を通じて本丸御殿は明暦の大火以降も、明和・文化・天保・安政・文久と幾度もの大火事に見舞われました。そのたびに莫大な費用を投じて再建が繰り返されましたが、幕末の1863(文久3)年の火災では幕府の財政が完全に逼迫。ついに本丸御殿は再建されないまま、西の丸御殿が仮の政庁として使われることになりました。

そして1868年、歴史は決定的な局面を迎えます。勝海舟と西郷隆盛の会談によって成し遂げられた江戸無血開城の経緯を経て、徳川家は城を明治新政府へと明け渡しました。

その後、東京奠都(てんと)によって江戸城は天皇の居所である「皇城」、のちの「宮城(きゅうじょう)」へと改称。1873(明治6)年には西の丸御殿も火災で焼失し、明治政府は木造の伝統建築ではなく近代的な洋風宮殿(明治宮殿)の造営を選択しました。こうして、かつての江戸城を構成していた主要な建造物群は、戦災や老朽化を待たずして歴史の表舞台から姿を消していったのです。

中川 明日香
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中川 明日香

エンタメ・カルチャー業界の深掘り取材を得意とし、現場のリアルな声をお伝えします。