京都の公立小学校、とりわけ南部エリアにおいて「ランドセルを見かけない」という現象の背景には、昭和40年代の教育現場が直面していた切実な課題がありました。公式発表資料や開発記録によると、発端は1968年(昭和43年)、京都府向日町(現・向日市)の小学校校長が、地元で学生カバンや鞄製造を手がけていた「株式会社マルヨシ」の創業者・鈴木正義氏へ持ちかけた相談に遡ります。
当時の特番インタビューや創業時の記録手記において、校長は次のような切実な現場の声を吐露していました。「家庭の経済格差によって高価な革製ランドセルを買えない児童がいる」「身体の小さな1年生が、2キロ近い重いランドセルに教科書を詰め、片道数キロの通学路で泣きそうになりながら歩いている」。折しも高度経済成長期であり、物価高騰と教育格差が社会問題化し始めていた時代でした。
この訴えを受け、鈴木氏は「軽くて丈夫、雨に強く、何よりすべての家庭が平等に買い求めやすいカバンを作ろう」と試作を重ねました。こうして誕生したのが、リュックサックの軽量性・撥水性とランドセルの箱型形状を融合させた「ランリック(通称:ランリュック)」です。遠くからでも児童の存在がひと目でわかるよう、交通安全色である鮮やかな黄色と黒・紺のツートンカラーが採用され、またたく間に近隣自治体の教育委員会や保護者の支持を集めました。