1957年、大阪・千林商店街のわずか13坪の薬局から、株式会社ダイエーの神話は始まった。当時の日本の商慣習は、松下電器産業(現パナソニック)に代表されるナショナルブランドが定価を決め、問屋や小売店を厳格に統制するメーカー絶対優位の時代である。値引き販売はタブーであり、メーカーの意向に背く小売店には商品の供給停止という厳しい制裁が待っていた。
この岩盤構造に真っ向から風穴を開けたのが、戦場での飢餓体験を持つ若き中内だった。「メーカーに価格決定権があるのはおかしい。価格を決めるのは消費者であるべきだ」。その強烈な信念こそが、後に日本全土を席巻する流通革命の狼煙となった。
医薬品や輸入牛肉、ウイスキー、そして家電製品に至るまで、中内は中間マージンの徹底的な削減と独自の仕入れルート開拓を断行した。松下幸之助との間で30年にわたって繰り広げられた「ダイエー・松下戦争」は、メーカー支配からの主権奪還を懸けた象徴的な激突として今も語り草だ。中内は消費者の味方として熱烈な支持を集め、小売・流通業のあり方を根底から塗り替えていった。