斎藤清六の足跡を振り返る上で欠かせないのが、浅草のストリップ劇場「浅草フランス座」での下積み時代です。日本大学工学部を中退後、コメディアンを志して浅草に飛び込んだ彼は、若き日のビートたけしらと同時代に芸を磨いていました。そこで見出されたのが、師匠となる萩本欽一との出会いです。
器用にコントをこなすタイプではなかったものの、どこか放っておけない愛嬌と純朴さに萩本欽一が着目。「そのままの清六でいろ」という徹底した指導のもと、全国区のスターへと押し上げられていきました。
特に「村の時間のど自慢」で見せた、木製の鐘を鳴らしながら登場する姿や、童謡や歌謡曲を破天荒な調子外れで歌い上げるスタイルは、当時の子どもから高齢者までを虜にしました。レコード『にぎやかのうた』をリリースするなど、歌の下手さをそのまま芸として成立させたパイオニアでもあります。