石巻市立大川小学校を襲った東日本大震災の被害は、日本の震災史上でも稀に見る悲劇となった。地震発生から津波が校舎を飲み込むまでの約51分間、校庭にとどまり続けた児童と教職員の判断が、運命を大きく分けることになった。
裏山という目と鼻の先の避難場所がありながら、なぜ児童らは河川の方向へと向かって歩き出してしまったのか。避難マニュアルの不備や、地域防災計画における津波到達予想の甘さが重なり、現場の指揮系統は混迷を極めた。直前に迫る津波の恐怖と、決定打を欠く議論。そのわずかな躊躇が、あまりにも大きな代償を生む結果となった。