昭和53年(1978年)7月11日夜、京都随一の歓楽街に位置するナイトクラブ「ベラミ」の店内は、多くの著名人や財界人で賑わっていました。そのVIP席に座っていたのが、山口組の最高指導者・田岡一雄組長です。ボディガードが厳重な警戒を敷く店内へ、客を装って静かに接近した鳴海清は、38口径のリボルバー(回転式拳銃)を抜き放ち、至近距離から田岡組長の首筋に向けて引き金を引きました。
銃弾は田岡組長の頸部を貫通し、同席していた医師らの迅速な応急処置によって奇跡的に一命を取り留めたものの、裏社会の頂点に君臨していた「首領(ドン)」が撃たれた衝撃は計り知れないものでした。現場がパニックに陥る中、鳴海は混乱に乗じて素早く店外へと脱出し、待機していた共犯者の車で闇夜へと消え去りました。これが戦後裏社会の転換点となった鳴海清によるベラミ事件の幕開けです。
この鳴海清と田岡一雄の直接対決は、警察当局による非常配備のみならず、山口組による全国規模の報復命令を引き起こしました。当時の報道各社の取材記録によれば、事件直後から関西一円の系列組織には厳戒態勢が敷かれ、街中に異様な緊張感が漂っていました。誰もが鳴海清の確保は時間の問題と見ていましたが、その事件の経緯は予想だにしない結末へと突き進むことになります。