明治10年代後半、不平等条約の改正は国家の悲願だった。当時の外務事務を統括していた外務省卿(のちの外務大臣)である井上馨は、欧州諸国に対して日本が「文明国」であることを短期間で証明する極端な策に出る。それが、外賓をもてなすための社交場「鹿鳴館」の建設と、徹底的な西洋化を促進する欧化政策だった。
夜会には政府高官だけでなく、その夫人たちも招かれた。着物姿しか知らなかった貴婦人たちが、一夜にしてコルセットで身を締め上げ、洋装でダンスを踊ることを求められたのだ。表向きは優雅なサロン文化の創造だが、本質は冷徹な外交戦略である。列強の外交官たちを感嘆させ、対等な交渉のテーブルにつかせるための「装飾」として、彼女たちの装いは徹底的に磨き上げられた。