『沈まぬ太陽』はどこまで実話か?恩地元モデルの壮絶半生と組織の闇

『沈まぬ太陽』はどこまで実話か?恩地元モデルの壮絶半生と組織の闇

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『沈まぬ太陽』の最大の読みどころは、愚直なまでに正義を貫く主人公・恩地元(おんち はじめ)と、冷徹に社内出世の階段を駆け上がる同期・行天四郎(ぎょうてん しろう)の鮮烈な対比です。山崎豊子は「綿密な取材に基づくフィクション」と断りつつも、主要人物には明確な実在モデルが存在します。

恩地元のモデルとなったのは、東京大学法学部を卒業後に日本航空へ入社し、労働組合の委員長を務めた小倉寛太郎(おぐら かんたろう)氏です。小倉氏は1960年代、劣悪だった運航現場の安全確保と労働環境改善のため、経営陣と激しく対立する春闘ストライキを主導しました。その結果、会社幹部から危険分子と見なされ、パキスタンのカラチ、イランのテヘラン、ケニアのナイロビといった僻地へ通算10年近くにわたり海外転勤を強いられるという、前代未聞の報復人事を受けました。

一方、恩地と袂を分かち、会社側の意を汲んで第二組合を結成し専務まで上り詰めた行天四郎は、特定の単一人物ではなく、当時の労務担当役員や歴代副社長など複数の実在幹部を融合させた複合モデルです。彼らが実践した露骨な組合分断工作や、社内派閥を利用した権力闘争の手法は、当時の内部資料や関係者の手記に記された生々しい記録と完全に符号しています。

さらに、事故後に中曽根康弘首相(作中の利根川首相)の要請で再建の舵取りを担った関西紡績の国見正憲会長のモデルは、カネボウ会長から日航会長に就任した伊藤淳二氏です。実在の伊藤氏もまた、小倉氏をナイロビから呼び戻して会長室部長に抜擢し、組織改革を断行しようと試みましたが、社内保守派や官邸の政治的思惑に阻まれて志半ばで退陣に追い込まれました。

中島 亮太
著者

中島 亮太

シンプルで洗練された住まいづくりとインテリアコーディネートのアイデアを提案しています。