小田和正と鈴木康博の仲は本当に悪い?脱退の真相と現在を徹底解説

小田和正と鈴木康博の仲は本当に悪い?脱退の真相と現在を徹底解説

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1982年6月30日、日本武道館でのツアーファイナル「over」をもって鈴木康博はグループを去りました。アンコールの「言葉にできない」で小田が感極まり、ピアノに突っ伏して歌えなくなったシーンは、日本のロック史における屈指のエモーショナルな瞬間として語り継がれています。

脱退直後から数年間、鈴木康博はソロシンガーとしての道を模索します。ソロ初期のステージにおいて、鈴木はあえてオフコース時代の自作曲を一切セットリストに入れませんでした。それは「オフコースの鈴木」という看板をかなぐり捨て、一人のミュージシャンとして独り立ちするための血のにじむような覚悟の表れでした。一方の小田もまた、4人組となったオフコースを牽引し、1989年の東京ドーム公演でバンドを解散させた後、1991年に「ラブ・ストーリーは突然に」で空前のセールスを記録します。互いにメディアの前で相手の名前を直接口にすることは極めて稀であり、この沈黙が世間の「絶縁・確執説」を長年補強する結果となりました。

潮目が変わり始めたのは、2000年代後半から2010年代にかけてのことです。歳月を経て自らのソロキャリアを確立した鈴木は、音楽誌や単行本のロングインタビューで、かつての盟友・小田和正について率直な思いを語るようになりました。特に音楽関係者の間で大きな反響を呼んだ鈴木康博のインタビューにおける小田和正への言及では、かつての葛藤を包み隠さず認めた上で、次のように小田の才能を讃えています。

「離れてみて、改めて小田のメロディセンスや言葉の選び方の凄さが分かった。あいつは妥協しない。あのストイックさがあったからこそ、オフコースはあれだけの存在になれた」「俺たちは仲が悪くて別れたんじゃない。二人とも自分の音楽に対してあまりに正直すぎたんだ」

この率直な告白は、長年二人の冷戦を心配していたファンに深い安堵をもたらしました。また、小田和正側も母校である聖光学院の記念式典や同窓生の集まりにおいて、鈴木の話題が出た際には穏やかな表情で近況を気に掛けるなど、かつてのような尖った緊張感は完全に消え去っています。公の場での華々しい小田和正と鈴木康博の対談こそ実現していませんが、共通の知人を介した小田和正と鈴木康博の交流は途絶えておらず、水面下ではとっくに「大人の和解」が成立していたのです。

森 瞳
著者

森 瞳

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