権力が行使されながら、誰もその結果に対して主体的・倫理的な責任を負わない。丸山眞男が看破した「無責任の体系」とは、単なる官僚機構の不手際を指す言葉ではない。それは、頂点に立つ者から末端の構成員に至るまで、自律的な道徳判断を放棄し、上位の権威や周囲の同調圧力へと責任を無限に移譲していく日本社会特有の病理構造であった。
西欧的な責任観が「個人の内面的な自律」を基盤とするのに対し、この体系下では「上からの強制」と「下への抑圧の委譲」が連鎖する。結果として生じるのは、誰もが悪意を持たずに破局へと加担していく巨大な無責任のメカニズムだ。現代の政策決定プロセスや相次ぐ企業不祥事、説明責任の形骸化を眺めるとき、この分析は驚くほど生々しい。責任の所在を曖昧にしたまま「前例」と「空気」に流される統治のあり方は、80年前の告発から一歩も前進していないのではないかという戦慄すら覚えさせる。