新宿駅周辺の地図を広げると、長野屋食堂が位置する場所がいかに特異であるかが浮き彫りになります。JR新宿駅東南口広場から徒歩わずか数秒、地価が極めて高い新宿3丁目の超一等地。周囲がガラス張りの複合ビルや最新のアパレルショップに建て替えられるなか、木造の風合いと色褪せた看板を掲げた同店は、まさに「都市のエアポケット」のような存在感を放っています。
創業は大正元年(1915年)前後とも言われ、関東大震災や東京大空襲、戦後の闇市から高度経済成長期に至るまで、新宿の激動の変遷を定点観測し続けてきました。かつて国鉄の新宿駅周辺に軒を連ねていた大衆食堂や一杯飲み屋が次々と姿を消していくなか、創業家の血統と職人たちの手によって、当時の空気感をそのまま令和の現在へと受け継いでいます。
店内に一歩足を踏み入れると、パイプ椅子に合皮張りのテーブル、壁一面に隙間なく貼られた黄色い短冊メニュー、そして静かに時を刻むテレビの音が迎えてくれます。計算された「レトロ風居酒屋」では決して再現できない、数十年にわたる人の営みと油煙が染み込んだ壁面の質感こそが、訪れる者の心を瞬時に解きほぐす最大の魅力です。