1928年5月21日、現在のガーナの首都アクラにおいて、世界的な細菌学者・野口英世は51年の激動の生涯を閉じました。公式記録における野口英世の死因は黄熱病への感染です。自らが解明しようと挑み続けた感染症に自ら蝕まれるという、劇的かつ残酷な幕切れでした。
当時、野口は米国ニューヨークのロックフェラー医学研究所で正所員を務め、世界最高峰の研究環境と破格の報酬を得ていました。すでに中南米のエクアドルなどで黄熱病調査を行い、病原体「レプトスピラ・イクテロイデス(Leptospira icteroides)」を発見したと発表し、野口ワクチンや治療血清の製造にまで至っていたのです。
しかし、アフリカで発生していた黄熱病に対して野口のワクチンが全く効果を示さず、ロックフェラー研究所の同僚や各国の研究者から「野口の発見は間違いではないか」と強い疑義が突きつけられます。名誉と科学者としての誇りをかけた野口は、周囲の強い反対を押し切り、1927年10月に単身アフリカ・ガーナのアクラへと向かいました。
現場での研究は過酷を極めました。過労と猛暑の中、連日のように感染組織の顕微鏡観察と動物実験を繰り返した野口は、帰国直前に高熱を発して倒れます。病床で残したとされる「私にはわからない(I don't understand)」という言葉は、己の研究前提が根底から覆されようとしていた混乱と無念さを物語っています。