『犬神家の一族』のトリックにおいて、最も読者・視聴者を混乱させ、同時に熱狂させるのが「犬神佐清」と「青沼静馬」の関係性です。物語の展開を整理するためにも、この2人の違いと劇中での入れ替わり構造を把握しておく必要があります。
犬神佐清は、犬神製薬の創始者・犬神佐兵衛の長女・松子の一人息子であり、犬神家の正統な後継者候補です。一方の青沼静馬は、佐兵衛がかつて女工であった青沼菊乃に産ませた私生児であり、犬神家の三姉妹から凄惨な迫害を受けて育った過去を持ちます。
ビルマ戦線(ミャンマー)で顔面に重傷を負った佐清の手記や軍歴を奪い、ゴムマスクを被って「犬神佐清」として犬神家に帰還したのは、実は復讐に燃える青沼静馬でした。そして、本物の犬神佐清は、顔の傷を包帯で隠し、静馬の指示に従う謎の男として潜伏していたのです。
1976年の市川崑監督版では、あおい輝彦が見事にこの2役を演じ分けました。当時の制作インタビューや関係者の証言によると、撮影現場ではゴムマスクの密閉性による息苦しさや皮膚への負担が凄まじく、素顔のシーンとマスクのシーンで微妙に声のトーンや立ち振る舞いを変える緻密な工夫が重ねられていたといいます。ネット上で「スケキヨのマスクを被っていたのは別のスタントマンか」と噂されることもありますが、重要な演技シーンはあおい輝彦本人が魂を込めて演じきっています。