大谷寺の本堂内に足を踏み入れると、薄暗い洞窟の岩壁一面に、高さ約3.8メートルの堂々たる大谷寺 千手観音が姿を現します。岩肌に直接彫刻された大谷寺 磨崖仏(まがいぶつ)のなかでも、本尊の千手観音立像は平安時代初期の弘仁年間(810年頃)の作と推定されており、彫刻年代が判明している磨崖仏としては名実ともに「日本最古の石仏」と位置づけられています。
寺伝における大谷観音 歴史 由来では、弘法大師(空海)が東国巡錫の折、毒水を出して住民を苦しめていた毒蛇を調伏し、一夜にしてこの千手観音を岩壁に刻んだと語り継がれてきました。いわゆる大谷寺 弘法大師伝説です。しかし、近年の美術史および考古学的な調査研究によって、伝説の裏にあるさらに壮大な歴史の断面が明らかになってきました。
美術史の専門家による詳細な様式比較分析によると、大谷観音の面相や着衣の流れるような衣文表現、そして脇手(千手)の配置手法には、日本の伝統的な木彫仏とは一線を画す特徴が見られます。これらはアフガニスタンのバーミヤン石窟や中国・敦煌の莫高窟に見られる「シルクロード石窟仏」の意匠と顕著な共通点を持っており、当時の唐から渡来した技術集団、あるいは中央アジア系の仏師が直接制作に関わった可能性が有力視されているのです。
軟質で加工しやすい反面、風化しやすい大谷石の岩壁にこれほど精緻な彫刻を残すため、表面には粘土と漆を幾重にも塗り重ね、その上に金箔を押す「木心乾漆像」に近い特殊技法が施されていました。薄暗い洞窟の中で黄金に輝いていた創建当時の威容は、まさにシルクロードの遥かな旅路の終着点として、日本の祈りの原風景を今に伝えています。