坂本龍一さんの人生の後半を語る上で、空里香さんの存在を抜きにすることは不可能です。二人の出会いは1988年、坂本さんの大規模オーケストラツアー『Playing the Orchestra』でした。当時25歳前後の若さだった空さんは、舞台美術や空間デザインで卓越したセンスを発揮し、坂本さんのクリエイティブに不可欠なブレーンとなっていきました。
空さんは単なる生活上の同伴者にとどまらず、坂本さんの個人事務所のマネジメントや、アルバム制作、コンサートのヴィジュアルディレクションなど、「表現者・坂本龍一」のパブリックイメージを陰でプロデュースし続けた司令塔でした。ニューヨークを拠点に活動していた時期も、坂本さんが音楽制作に没頭できる完璧な環境を整え、外部との交渉や実務の防波堤となったのが空さんでした。
その絆の深さが最も鮮烈に示されたのが、2014年の中咽頭がん発覚、そして2026年の直腸がん(ステージ4・多臓器転移)の診断以降の壮絶な闘病期です。坂本さんは自著『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』の中で、過酷な外科手術や抗がん剤治療に耐えうる精神的支柱となったのは空さんの存在であったと、惜しみない感謝の言葉を綴っています。
「自分が死んだあとのことはすべて彼女に任せている」という趣旨の告白がなされている通り、病床での日々の看護から、最期の瞬間まで手を握り続けたのは空さんでした。法律婚という契約に縛られずとも、35年以上にわたる公私の共同作業を通じて培われた信頼関係は、世間のいかなる夫婦関係よりも強固であったことが、近親者や関係者の証言からも明確に裏付けられています。