江戸時代の元号はどう決まった?幕府と朝廷が繰り広げた激闘の真相

江戸時代の元号はどう決まった?幕府と朝廷が繰り広げた激闘の真相

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関ヶ原の戦いを制し、覇権を確立した徳川家康は、武力のみならず精神的な権威の掌握にも心を砕いた。関ヶ原以前の慶長年間から続く治世において、幕府は「紫衣事件」に代表されるように公家衆への統制を強めていく。ここで最大の焦点となったのが、元号を新しく決める改元制度の運用権だった。

本来、元号を決定して宣下する権限は朝廷に属する。しかし実権を握る江戸幕府は、自らの都合や政治的意図を優先させようと干渉を繰り返した。これに対し、権威の象徴として譲らない後水尾天皇との間で凄まじい対立が勃発する。天皇は幕府の強硬姿勢に激怒し、事前の相談なしに退位を断行するなど、激しい抗議の意思を示したのだった。

幕府は自らの正統性をアピールするために元号の選定に介入し続けた。朝廷が提示した候補(勘申案)の中から、幕府の意向に沿うものを厳選・強要するシステムを作り上げたのである。形式的には朝廷が宣布しつつも、実質的な決定権は江戸が握るという、複雑極まる二重構造がここに完成した。

石川 優花
著者

石川 優花

心身ともに健康で持続可能なライフスタイルをテーマに、最新のウェルネストレンドを発信中。