郡の役所に辿り着いた漁師は、太守(地方長官)にこの不思議な隠れ里の存在を密告します。太守は即座に部下を派遣し、漁師を道案内に立てて探索させました。ところが、あれほど念入りにつけたはずの目印はことごとく見当たらず、道を見失い、二度と桃花源へ至る道を見つけることはできませんでした。
さらに物語は不気味な幕切れを迎えます。南陽の高潔な士として名高かった劉子驥(りゅうしき)がこの噂を耳にし、高尚な志をもって探索を試みますが、目的地に達することなく病にかかり、まもなく世を去ってしまいました。これ以降、桃源郷の津(渡し場・道筋)を尋ねる者は完全に途絶えた、という一文で筆が置かれます。
なぜ彼らは二度と辿り着けなかったのか。単なる「場所の消失」ではなく、文学的・思想的な必然性として以下の3つの理由が指摘されています。
第一に、「功利主義・世俗的野心との決別」です。漁師は個人的な歓待を受けながら、その恩義と約束を裏切り、領主への功績や金銭的見返りを求めて役人に密告しました。桃花源は、皇帝の支配(戸籍、徴兵、重税)から逃れて無為自然に生きる者たちのサンクチュアリです。権力の手引きをした時点で、その精神的資格を永久に失ったと解釈されます。
第二に、「心のありよう(無心と有心)の対比」です。漁師が最初に辿り着けたのは「道の遠近を忘れる」ほど無心だったからに他なりません。目印をつけて意図的に探そうとする「有心」の行為そのものが、桃源郷の本質と決定的に矛盾してしまうのです。
第三に、劉子驥の死が示す「現世の限界」です。俗物である太守や漁師だけでなく、世俗を脱したとされる高潔な知識人ですら到達できずに病死した結末は、「桃源郷とは現実の地理的空間には存在せず、現世の生を脱した彼岸、あるいは精神の深淵にしか存在しない」という陶淵明の冷徹なメッセージと読解できます。