突如として報じられた二軍打撃コーチからの電撃退任劇。球団発表の文面だけでは見えてこない舞台裏について、球界関係者は「身体的なコンディションの悪化と、指導に対する過度な責任感が重なった結果だった」と口を揃える。泥にまみれて選手と向き合い続けるなかで、チーム全体の低迷や故障者の続出という重圧が、愚直なまでに責任を背負い込む畠山の心身を限界まで追い詰めていた側面は否めない。
「妥協のない指導を貫くからこそ、中途半端な状態でグラウンドに立ち続けることを自ら許せなかったのではないか」。当時の関係者がそう漏らすように、現場を離れた背景には彼なりの選手第一主義と、勝負の世界に対する純粋すぎる矜持が存在した。衝突や不和といった単純な構図ではなく、自らの引き際を厳格に見極めた末の苦渋の選択であったことが、今になって浮き彫りとなっている。