壱岐の歴史を語る上で避けて通れないのが、1274年の「文永の役」――元寇の惨劇である。圧倒的な軍事力を誇る蒙古・高麗の連合軍が対馬に次いで押し寄せた際、島を守るべく立ち上がったのが壱岐守護代の少弐資時であった。当時わずか19歳。若き武将は一族郎党とともに奮戦したが、圧倒的な兵力差と未知の火器を前に玉砕を遂げる。
現在も島の北東部、勝本浦を見下ろす地に佇む少弐公園には、資時を祀った神社と墳墓が静かに残されている。地元の人々は数百年にわたり、この地で散った武士たちの魂に祈りを捧げ続けてきた。歴史紀行・離島ツーリズムを目的として島を訪れる現代の旅人たちにとって、この地は単なる古戦場跡ではない。過酷な運命に立ち向かった先人たちの武勇と悲哀が深く刻まれた、魂を揺さぶる巡礼地となっている。