横浜流星さんの人間形成において、最も決定的な影響を与えたのが松伏第二中学校時代の空手生活です。小学1年生の時に自ら希望して極真会館下総支部松伏道場に入門した横浜さんは、中学時代、部活動の陸上部と並行して道場へ通い詰める日々を送っていました。
平日も休日も関係なく、週6日以上の厳しい稽古に打ち込み、拳の皮が剥け骨折を経験しても道場へ通い続けたという逸話はファンの間でも広く知られています。その凄まじい執念が結実したのが、中学3年生の秋に出場した「2011年第7回国際青少年空手道選手権大会(13・14歳男子55kgの部)」でした。この大会で強豪ひしめくトーナメントを勝ち抜き、見事に世界大会優勝を成し遂げました。
当時すでにファッション誌のメンズモデルとして芸能事務所に所属していましたが、横浜さん本人は「当時は芸能活動よりも空手が人生の最優先事項だった」と各メディアのインタビューで回想しています。痛みに耐え、己の甘えを排して頂点に立ったこの成功体験こそが、後に役者としてどんな過酷な現場にも耐え抜く強靭なメンタリティの土台となりました。