平安時代の平均寿命30歳の真相|貴族と庶民の格差や死因を徹底検証

平安時代の平均寿命30歳の真相|貴族と庶民の格差や死因を徹底検証

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階層格差以上に苛烈だったのが、性別による寿命の差です。古記録の分析から、平安時代の女性の寿命は男性貴族よりもさらに低く、平均して30代前半から半ばで生涯を閉じるケースが多発していました。この悲劇の背景には、生命の誕生そのものが命を奪う最大の罠であったという過酷な現実があります。

平安時代の女性の寿命と出産における最大の脅威は、産褥熱(さんじょくねつ)と分娩時異常出血でした。当時は無菌操作や消毒の知識が完全にゼロであり、出産時には穢れ(けがれ)を避ける名目で薄暗い産室に隔離され、不衛生な環境下で分娩が行われました。胎盤遺残や感染症によって高熱を発し、産後わずか数日から数週間で命を落とす貴婦人は数知れませんでした。大納言や大臣の娘として最高の教育を受けた姫君たちも、出産を迎えるたびに遺書をしたためる覚悟を強いられていたのです。

これに対し、当時の医療技術はあまりにも無力でした。典薬寮(てんやくりょう)に所属する医師や漢方薬は存在したものの、根本的な細菌感染やウイルス感染には太刀打ちできず、支配層がすがりついたのは平安貴族の医療と加持祈祷でした。病気の原因はウイルスではなく「怨霊」「物の怪」「前世の宿業」であると本気で信じられていたため、病人が出ると密教の高僧や陰陽師が枕元に呼び寄せられ、夜を徹して護摩を焚き、加持祈祷の大音響で悪霊を調伏しようと試みました。衰弱し切った患者の前で祈祷を繰り返すことは、安静を妨げ病状を悪化させる逆効果にしかならなかったのです。

こうした極限状態の中で、知性を武器に後世へ名を遺した女性作家たちの寿命はどうだったのでしょうか。紫式部や清少納言の享年を検証すると、紫式部は生没年に諸説あるものの40代半ばから50代前半、清少納言も50代後半から60代前後まで生きたとする説が有力視されています。彼女たちが当時の女性の平均余命を大きく上回って生き抜くことができたのは、度重なる出産リスクから一定の距離を保てた環境や、宮仕えを通じた適度な精神的刺激と生活基盤が存在したためと考えられています。

林 結菜
著者

林 結菜

エンタメ・カルチャー業界の深掘り取材を得意とし、現場のリアルな声をお伝えします。