夏木マリの若い頃が超絶美人!清純派から妖艶へ激動の歩みと今

夏木マリの若い頃が超絶美人!清純派から妖艶へ激動の歩みと今

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現在でこそ先鋭的なカルチャーアイコンとして君臨する夏木マリですが、彼女の芸能界入りの原点は、大半の人が思い描くイメージとは180度異なるものでした。1971年、当時19歳だった彼女は、本名の中島淳子(なかじま じゅんこ)名義でシングル『小さな恋』をリリースし、歌手としてプロの門を叩いています。

当時のプロモーション写真に残る姿は、豊かな黒髪を清楚になびかせ、はにかんだ笑顔を浮かべる典型的な「清純派アイドル歌謡」の王道スタイルでした。しかし、小柳ルミ子、南沙織、天地真理の「新三人娘」がチャートを席巻していた当時のアイドル黄金期において、清楚さを前面に押し出した中島淳子のレコードは商業的な成功を収めることができず、厚い芸能界の壁に跳ね返されることになります。

転機が訪れたのは1973年。所属事務所の移籍に伴い、作詞家の阿久悠、作曲家の井上忠夫(後の井上大輔)という希代のヒットメーカー陣と巡り合ったことでした。「夏に強い木、世界に通用するマリ」という意味を込め、芸名を「夏木マリ」へと改名。初夏に発売された復帰第一弾シングル『絹の靴下』で、彼女のパブリックイメージは激変を遂げます。

膝をつき、挑発的な眼差しで太ももを撫で上げるようなフィンガーアクション、アンニュイなアイラインとスモーキーなメイク。それまでの清楚な中島淳子の面影を完全に脱ぎ捨てた妖艶なビジュアルは、日本中にセンセーションを巻き起こしました。公称身長163cm、均整の取れたプロポーションと日本人離れしたシャープなフェイスラインは、当時「グラマラスでありながら退廃的なモダンビューティー」と評され、瞬く間にトップアイドルの座へと駆け上がったのです。

田中 結衣
著者

田中 結衣

グルメと旅を愛するフリーライター。全国各地の隠れた魅力を独自の視点から紹介します。