本作最大の特徴である「溶ける時計」について、長年「アインシュタインの特殊相対性理論(時空の歪み)を絵画化したものではないか」という解釈が語られてきました。しかし、ダリ自身はこの俗説を明確に否定しています。のちに物理学者イリヤ・プリゴジンとの対話などでも語られた通り、発想の源泉泉盤となったのは極めて日常的かつ感覚的な体験でした。
ダリの自伝『わが秘められた生涯(The Secret Life of Salvador Dalí)』の記述によると、1931年のある夏の夜、妻のガラが友人たちと映画に出かけた際、ダリはひどい偏頭痛のために一人アトリエに残っていました。夕食の締めくくりに食べたカマンベールチーズが室温でとろりと溶け崩れていく様子をぼんやりと眺めていたダリの脳裏に、突如として「柔らかさの哲学的イメージ」が閃いたと記されています。
ダリは当時描きかけだった、故郷ポルト・リガトの荒涼とした海岸風景のキャンバスの前に立ちました。そこに「硬固で正確無比な機械の象徴」である懐中時計を、チーズのように柔らかく変形させて配置するという着想を得たのです。妻ガラが映画から帰宅するまでのわずか2時間足らずの間に描き上げられたこの即興的な着想こそが、20世紀を代表するマスターピース誕生の瞬間でした。