柳京ホテルの着工は1987年に遡ります。当時、隣国の韓国が1988年のソウルオリンピック開催に向けて威信を高めるなか、シンガポールの高層ホテル「ウェスティン・スタンフォード」(現スイスホテル・ザ・スタンフォード)を手がけた韓国企業に対抗する形で、北朝鮮主導の巨大プロジェクトとして計画されました。設計上は客室数3,000室以上、最上部には5層の回転レストランを備える世界最大のホテル構想でした。
しかし、基礎構造のコンクリート打設が進むなか、1991年末のソビエト連邦崩壊が致命的な打撃を与えます。最大の経済的支援国を失った北朝鮮は深刻なエネルギー不足と食糧難、いわゆる「苦難の行軍」と呼ばれる経済破綻に直面しました。外貨調達の道が断たれ、建設資材の供給が止まった結果、1992年に工事は完全中断を余儀なくされました。
その後、16年以上にわたって平壌の中心部に未完成のコンクリートむき出しの巨大骨組みが放置され、国際社会や海外メディアからは「世界最大の廃墟」「呪われたホテル」と揶揄される事態が続きました。