牽牛子塚古墳の被葬者と八角墳の謎|斉明天皇合葬の真相と復元の見どころ

牽牛子塚古墳の被葬者と八角墳の謎|斉明天皇合葬の真相と復元の見どころ

牽牛子塚古墳の被葬者と八角墳の謎|斉明天皇合葬の真相と復元の見どころの基本情報から最新動向までをわかりやすく整理しました。

牽牛子塚古墳の被葬者をめぐる議論において、学術界でほぼ定説となりつつあるのが斉明天皇(皇極天皇重祚)と、その娘である間人皇女の合葬説です。この結論を強固に支えているのが、発掘調査によって明らかになった特異な石槨内部の設計と『日本書紀』の克明な記述です。

『日本書紀』天智天皇6年(667年)の条には、斉明天皇を「小市陵(車坂陵)」に葬り、その陵の中に娘の間人皇女を合葬したと記されています。牽牛子塚古墳の内部には、左右に寸分違わず並ぶ2つの埋葬空間(羨道と玄室)が用意されており、高貴な2名の人物を同時に、かつ同格の尊厳をもって埋葬する意図が完全に具現化されていました。

さらに、出土した遺物からも高貴な身分が裏付けられています。石槨内からは夾紵棺(きょうちょかん:麻布を漆で幾重にも塗り固めた最高級の棺)の破片や、金銅製の棺飾金具、ガラス玉、さらには7世紀後半の高貴な女性のものとされる臼歯(60代前後の女性)が検出されました。これらはまさに、661年に68歳で崩御した斉明天皇のプロファイルと驚くほど合致しています。

山本 拓海
著者

山本 拓海

デジタルガジェットとスマート家電の検証記事を多数執筆。失敗しないモノ選びを提案します。