坂本一生を語る上で避けて通れないのが、1993年に社会現象となった「新加勢大周」命名騒動です。当時、トップアイドル俳優として絶大な人気を誇っていた加勢大周氏が、所属事務所との契約トラブルから独立を宣言。これに激怒した事務所社長が「加勢大周の芸名は事務所の所有物である」と主張し、公募オーディションを開催して選ばれたのが、当時オーストラリア留学から帰国したばかりの阪本健一青年でした。
記者会見の場にいきなり「新加勢大周」のタスキをかけられて登場させられた彼の姿は、日本中のメディアを席巻しました。しかし、芸名の所有権を巡る法廷闘争において、裁判所は事務所側の訴えを退け、「新加勢大周」としての活動差し止め仮処分を決定。これにより、デビューからわずか数十日で名前を奪われるという前代未聞の事態に追い込まれました。
窮地に立たされた彼を救ったのが、当時バラエティ番組で絶大な影響力を持っていたビートたけし氏でした。番組内での「一生懸命やれよ」という激励から命名された「坂本一生」へと改名し、タレントとしての再スタートを切ることになります。しかし、デビュー当初に植え付けられた「騒動の副産物」「偽物」という強烈なパブリックイメージは、その後のタレント生命に重い足枷として影を落とし続けました。
その後、筋肉企画やVシネマなどで一定の存在感を発揮したものの、タレントとしてのアイデンティティを見失い、ギャラの配分問題や事務所との方向性の乖離も重なったことで、最終的に2000年代半ばに芸能界を事実上引退する決断を下しました。本人の手記や過去のインタビューでも、「自分の意志ではない場所で神輿に担がれ、梯子を外された喪失感は想像以上に過酷だった」と当時の苦悩を吐露しています。