この詩における最大の鑑賞ポイントであり、定期テストでも頻繁に記述論述のテーマとなるのが、承句の「疑うらくは是れ地上の霜かと」という比喩表現です。なぜ李白は、美しいはずの月明かりを不気味なほど冷たい「霜」と感じたのでしょうか。
唐代の記録や詩文研究者による伝記史料の調査によると、李白がこの詩を詠んだのは開元14年(726年)の秋、詩人31歳前後の頃とされています。25歳で生まれ故郷である蜀(現在の四川省)を離れた李白は、自らの才能を頼りに諸国を漫遊し、仕官の道を模索していました。しかし、貴族階級の出身ではない李白にとって、当時の科挙制度や推薦ルートを通じた立身出世の壁は極めて厚く、現実は挫折の連続でした。
さらに当時の李白は、滞在先であった揚州の旅舎において、重い病に倒れて無一文に近い状態に陥っていたと伝えられています。暖房設備も乏しい簡素な宿の一室で、悪寒に震えながらひとり目覚めた秋の夜。ふと床(寝台)の足元を見ると、窓から差し込んだ月の光が白々と床面を照らし出していました。
熱と寒気に苛まれ、肉体的にも精神的にも追い詰められていた李白にとって、その光は単なる風流な月光ではなく、骨の髄まで凍てつかせるような「地上の霜」そのものに見えたのです。外気の寒さと自身の孤独感が共鳴した瞬間の錯覚であり、この痛切な現実体験があったからこそ、続く「山月」への視線と「故郷」への激しい郷愁が胸を打つリアリティを持ち得ています。