「地平線付近の月が大きいのは、地球の大気がレンズの役割を果たして拡大しているからだ」という説明を耳にしたことがあるかもしれません。しかし、これは天文学・大気光学において完全に否定されている代表的な誤解です。大気は光を屈折させますが、垂直方向に月をわずかに押しつぶして楕円に見せる効果はあっても、全体を拡大して見せる虫眼鏡のような効果は持ち合わせていません。実際にカメラで地平線の月と天頂の月を同じ焦点距離で撮影し、画像を重ねて比較すると、サイズは完全に一致します。
カメラのセンサーには同じ大きさで写るにもかかわらず、なぜ人間の肉眼と脳だけが巨大な月として知覚してしまうのでしょうか。その主犯とされるのが、心理学で広く知られる「ポンゾ錯視(Ponzo illusion)」および「エビングハウス錯視」です。
人間は網膜に映った像の大きさだけで物体のサイズを判断していません。脳は無意識のうちに、周囲にある建造物、電柱、山並み、遠くの街並みといった「遠近感の手がかり(奥行きの手がかり)」を瞬時に計算します。地平線近くに月があるとき、視界には無数の遠景が入り込みます。脳は「遥か彼方の地平線の向こうにある物体なのに、網膜にこれほどはっきり映っているということは、実物はとてつもなく巨大なものに違いない」と勝手に奥行き補正をかけ、知覚する月のサイズを拡大してしまうのです。
さらに、人間が無意識に抱く「見かけの天球(扁平な天球仮説)」も影響しています。人間は空を見上げたとき、半球状ではなく「真上は低く、地平線方向は果てしなく遠い」というお椀を伏せたような平べったいドームとして空を認識する傾向があります。同じ角度の視直径を持つ天体であっても、「遠くの壁」に張り付いている地平線の月のほうが、頭上の「近い天井」にある月よりも巨大であると、脳が自動的に解釈を書き換えてしまうわけです。